この仕事を始めて最初の10年を一緒に仕事させていただいた恩師が亡くなりました。わけあって..あとの5年ほどは別の仕事をされることになったために..その後はほとんどお目にかかることはなかったんですが..。自分がこの仕事をこんなに長い間続けてこれたのは先生のもとで仕事ができたからこそだとずっと思っていました..いつも..心にはありました。
教育実習にいったことはありましたが..。
最初から「あーしろ、こーしろ」と言われていたら..すぐにやめていたかもしれません。でも..どんなことに対してもそんな風に言われた覚えは一度もありませんでした..。いろんな話を聞いてくださって..担当する子どもたちや授業のことに関しては、自分の思うことは全て話してしまったのではないかと思うくらい..よく話しました。そんななかでも..どうしなさい..と言われたわけではないのに..いつのまにか、自分で考えて答えをだしている自分がいました。
いつも、いつも..話して、考えて、その上で私の好きなようにさせてもらってきました..。採用が決まって取締役との初めての面接に伺ったときは..(新渡戸稲造そっくりで..ちょっと(←かなり..(^-^;)引いたりもしましたけど..)
最初にお目にかかったその日の「この仕事はきっと母親業に役立ちますよ..」
の言葉のとおり..教えてもらって、育ててもらったのは自分じゃないのかな..とよく思います。祖母が残した「してみせて、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かじ」のことばの意味が少しわかった気がするのも..先生のそばでこの仕事ができたからだと思いました。
いつも届く年賀状が今年は届かなかったのをもっと不思議に思うべきでした..。
いつでもお会いできると思っていたのに..。こんなに早くに逝ってしまわれるなんて..。「ありがとうございました」が..こんなに重みを持たないことがあるなんて..。でも..ありがとうございました..しかないのです..。
ほんとに..ありがとうございました。
心からご冥福をお祈りします。
愛用されていたFABER-CASTELLの鉛筆..あの深いグリンがいまも好きです..。
いつか..おすきだとおっしゃっていたカサブランカ..
おとどけします